脇道にそれる
「いつどこで生まれたかを私は知らない。私が生まれたのを目撃した親が役所に届けを出し、それが文書になった。私の存在の証明は、他者の記憶とその記述という行為に根本的に委ねられている。私の存在証明を突き詰めていくと、生きていることの証とは、文字による記録以前の人の記憶のあいだで紡がれているものだとわかる」。私の存在もあなたの存在も自分自身では証明できない。両親・祖父母・兄弟・近所の人たち・友人たちが語る私についての記憶。そして役所に届けられた公式な記録。小さな頃の私を自分では覚えていない。それらの記憶はどうやって記録として残るのだろうか。その輪郭はずっとあいまいな線のまま。