一四一七年、その一冊がすべてを変えた
古典というものが現代でも気軽に読める。そのことが当たり前のように思えるかもしれない。でもそれはその文献の存在に誰かが気づいたということである。それを見出した人や評価した人がいたのだ。それが読めるようになるためにどこかのタイミングでその写本が発見されたということであるのだ。もしかしたら失われたままだったかもしれない古典が日の目を見る。それがいつどこで誰がどうやって探してきたんだろう。それはどこに残されていたのだろうか。長い長い時間を超えてようやくその本が私たちに届いたのだ。