レトリック感覚
「「いま私はバルザックを読んでいる」という文章は、全然レトリカルな感じがしない、ごく常識的な表現だが、そこにも換喩が働いている。「バルザック」は人名であり、人間である。しかし、私はいま人間を読んでいるのではなく、また人間の顔色を読んでいるのでもなく、人間とは似ても似つかぬ書物を読んでいるのだ。ただ、その作品と作者は、いわば親子のようなきずなでつながっている」。私たちはものごとを何かに喩えて話をする。修辞という訳語ができあがる過程もたどりながら、直喩・暗喩・換喩・提喩などのさまざまなレトリックを説明する。「レトリックは、言語の常識的ルールにわずかにさからってもいいから、あえて意識の真相を忠実に表現しようという工夫でもあった」。