毎日の図書館学

初めて図書館学に触れる学部1年生を想定して図書館に関係ありそうな本を毎日1冊ずつ300字程度で紹介します。

図書館の興亡

「書架のあいだにいると、図書館は死んだ本が行く場所であるかのように思えるかもしれない。総体的に見ると、書物はそれ自体がつくったすばらしい隠れ家に姿をひそめている。時代が移るにつれて、図書館は成長したり変化したり、繁栄したり消滅したり、花盛りを迎えたり萎縮したり──それでもわれわれはみな、書物を通してアレクサンドリアの顛末を追い、集められた数百万冊の書物が知識と普遍性を生み出すという神話の象徴であるパルナッソス神殿で小休止をしたいと願っているのである」。図書館がつくられる。書物が生み出される。そして図書館は破壊される。あるいは焚書も起こってしまう。新しくつくられたり失われてしまったり。図書館で働く司書はどういう仕事をしてきたのだろうか。

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コーヒーが廻り世界史が廻る

「従来、ひとが会話する場所として思い浮かべられるものは、舞踏会場、劇場、公園、マチネー、夜会など、要するに上流社会の社交場である。これら古典的な場所に対して、コーヒー・ハウスの会話の特殊性は身分制の枠が取り払われている点にあった。身分の高い人々も、はるかに低い社会階層の人々と親しく話をするのに抵抗を持たなかった。まさに顧客の層が多様であることがコーヒー・ハウスの魅力であり、そのことによってのみ、社会情勢や政治動向、商売の成り行きから文芸に至るまで、変化に富んだ、予想もしない顕末を備えた会話や討議が可能となったのである」。コーヒーが生産される。コーヒーの流通が経済的な価値を持つ。そして私たちがコーヒーを飲む場所はどういった特徴を持つだろうか。

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鉄条網の世界史

「鉄条網の最大の機能は、空間の「遮断」である。それは政治的な分断にも威力を発揮してきた」「牛の群れを囲う機能が、人間に向けられるのは時間の問題だった。人間を拘束する刑務所、強制収容所、捕虜収容所、難民収容所などは、鉄条網抜きには存在しえないまでになった。人間を狭い空間に押し込めて無力化し、家畜のように扱うことを可能にする」「鉄条網は国と国とを隔てる国境だけでなく、国内でも敵味方、人種、民族、宗教、貧富……などの違いを分け隔てる壁でもある」。鉄条網は開拓に用いられる。土地を確保する。家畜を囲い、農地を確保する。それは動植物の生態系を変えてしまうことでもある。そして鉄条網は戦争にも用いられる。国境を分断する。権力が人々の生活をも脅かすようになる。

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空間の経験

「道具と機械は、場所と広がりについての人間の感覚を大きく拡大する働きをする」「ある空間は、われわれにとって熟知したものに感じられるときには、その空間は場所になっているのである」「文学がもつ一つの機能は、場所の経験をも含めて親密な経験に可視性をあたえることである」「都市は、昔から同じところにあるというだけで歴史的になるのではない。過去のいろいろな出来事は、生きている伝統の一部と目されている歴史書、記念建造物、野外行列、聖俗両方の祝祭のなかで記憶されていなければ、現代に影響をあたえることはできないのである」。私たちの経験する空間というものの意味を考える。私たちは日々の暮らしのなかで何に囲まれているだろうか。

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仕事としての学問 仕事としての政治

「学問に従事する人が、実際に、人生において一度のことで、おそらく二度目はないような、あとに遺るものをやり遂げた、という完全なる感情をわがものにできるのは、厳密な専門化によってのみです」「学問上の「達成」は、どれも新たな「問いを出す」ことであり、「凌駕」されること、古くなることを欲するのです。学問にコミットしようと思うなら、誰でもこのことと折り合いをつけなければなりません。/学問において追い抜かれることは、ぼくたちすべての運命であるだけでなく、目標でもあるのです。誰かがさらに先に進んでくれるだろうという期待をもたずして、僕たちは作業できません」。新しい研究成果を生み出す。学問をその先に進めていく。図書館も学問の進歩に合わせて変わっていく。

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明治東京風俗語事典

「かしぼんや〔貸本屋〕:今日の貸本屋とちがい、明治中頃までの貸本屋は、自分でしょって得意先を廻った。これが廃れたのは、ボール表紙の洋装が出来、背負って歩くに不便となったからで、封切(新刊本)は特別料金で汚さぬよう読ませ、お宅へ一番最初に持ってきましたなどと数件から高い貸本料を得ていたという」「たねとり〔種取〕:探訪新聞の社会面の記事をさがして歩く下級記者」「こほん〔小本〕:人情本(昔の恋愛小説)のこと」「しおたれる〔萎たれる〕:しょんぼりする。今日でも出版界では、保管不完全や売残りのため見るかげもなくなることを「しょたれる」といい、そうなった本を「ショタレ本」といいならわしている」。明治の頃につかわれていた言葉を知る。言葉は時代の影響を強く受ける。

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自分と向き合う「知」の方法

自分のことを棚上げしないで物事を考えてみる。「生命を考えるとは、いまここで生命として生きている私について考えることでもある。だから、いまここで生きている私が、社会と自然環境のなかでどのような姿で生きているのか、そしてこれからどのように生きていくのかということを、個別具体的なこの私という地点から外れずに考え抜かないといけない。生命について考えることは、すなわち、それを考えている私自身の姿が問われることでもある」。私たち自身の学びの形は自分で考えなければならない。自分の問題意識にあわせて専門的な知識を自分で選び取っていく。「学ぶことでその人が生き生きしないというのは、その人の学び方が間違っているのだ」
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図書館の明日をひらく

図書館ははじめるものである。決して図書館をつくるとは言わない。建物をつくれば図書館が完成するわけではない。「私たちが求めているのは、たしかに目に見えるかたちでの図書館だが、ほんとうは私たちの暮らしの隣にあって、役に立つ図書館サービスを手にしたいと願っているのである。そのために苦労をいとわず、十年二十年と運動を続けているのだ。その運動のエネルギーを枯渇させることなく、さらなる力を生みだしていくためにどうしたらよいか。それは知ることだ。図書館を知り、目を広く見開き、希望を大きく膨らませる」。建物だけでなく、豊富で役に立つ資料と、資料と人を結びつける司書が図書館には必要となる。「図書館がほしいというのは、優れた図書館サービスがほしいのだ」。

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それは「情報」ではない。

「情報の分類は、情報の内容と同程度に重要だ。情報を見つけ出し、ふるいにかけ、並べ替え、分類し、印象づけさせることは、情報を作り出すよりも重要な作業だ」「理解するための、もっとも基本的な必須条件は、何かわからないことが出てきたとき、それを認めるということだ」「学習とは、自分が興味を持ったことを記憶するプロセスだと言える。そして、学習と興味は、コミュニケーションの中で互いに仲良く手を取り合うものだ」「ひとつの興味をいくつもの多彩な興味に広げていくという考え方ができれば、何かを選択するときも、あまり怖がらなくて済む」。情報は増え続ける。情報が溢れている。図書館と情報とはどう関係しているのか。情報とは何かということをきちんを考えておきたい。

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写真論

「写真を収集するということは世界を収集することである」「写真を撮るということは、写真に撮られるものを自分のものにするということである」「撮影することは重要性を授けることである」「写真は、過去を消費できる対象物に変える近道である」「写真家は略奪もすれば保存もする。また告発もすれば神聖化もする」。写真というメディアが登場したことが私たちの世界にもたらしたものを問いかける。写真には文字では表現できないものを表現できる。写真は絵画のようなメディアとは異なる。「古い写真に新しいコンテクストを見つけてやって復権させるというのが主な出版業になった。一枚の写真は断片にすぎず、時間が経つにつれてそれをつなぐ綱は離れる」。

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